2007年04月26日

MANSAI@解体新書 <続>

というわけで、改めまして(笑)

MANSAI@解体新書 その拾壱「間(ま)」
  〜時空の美学(エステティックス)〜

『MANSAI@解体新書』とは、世田谷パブリックシアター芸術監督・野村萬斎自ら企画・出演し、多彩なゲストを招いてお互いの専門分野を駆使しながら、現代芸術の世界を構成しているさまざまな分野・要素をパーツ分けしてそれぞれの成り立ちと根拠を問い直し、表現の本質を探っていくシリーズらしい。

11回目となる今回のテーマは「間」。
ワタクシ舞台上でどうにも「間」を上手くとれないので、これはぜひいろいろ話を聞いてみたいものじゃ、と出かけてみたわけだ。
ゲストは、武者小路千家15代家元後嗣の千宗屋さんと東大大学院薬学系研究科講師(専門は大脳生理学、神経薬理学)の池谷裕二さん。
日本人ならではの、「間」という感性概念を「舞台芸術」「茶の湯」「脳の世界」から辿るという趣向。

始まってから知ったのだが、池谷先生は去年読んでとても面白かった「海馬 〜脳は疲れない」(新潮文庫)という本を書いたご本人だったのだ!ちなみに「脳はなにかと言い訳する」(祥伝社)も面白いよ(^−^)

舞台上にオープンな茶室が作られていて、まずは千宗屋さんによるお点前が。本来個室でやる茶会がこんな700人もの観衆の前で行われるのは何だが妙な感じ。
それにしてもお茶ってこんなに作法が面倒なのかと、ちょっと気が遠くなった( ̄□ ̄‖)
これじゃお茶とお菓子をお楽しみ下さいって言ったって無理だよ〜(T_T)と思ったのだが、後で「間」について掘り下げて行く時に千さんが解説してくれた話を聞いていたら、そうでもないかなと思い直した。
まず茶室に入る前から始まる作法が、実はじんわりと日常から非日常へ、境界を越えて入っていく動作になっていたりとか聞くとちょっとワクワクしませんか?(笑)
茶室の掛け軸の話とか、たくさんの礼とか、手品のような帛紗捌きとか、静かな中にお湯の滾る音と道具の音だけが響いてたりとか。ちょっとステキに幽玄な時間を過ごさせてもらったです。

この千さんが、えらいようしゃべらはる人で(笑)面白かったです。伝統文化の道の人なのでやはり言葉はとても丁寧なのだが、見かけによらず(?)英語というかカタカナ語をよく使っていたのが印象的であった。
でも逆にこういう日本の伝統を継ぐ人たちは、それを海外の人に紹介したりもするだろうから、英語を使う機会が多いのかなとも思ったりして。


「間」はコミュニケーション。
「あいだ」っていうくらいだから「間」が存在するには人と人や人とモノ等など相対するものが必要で、そこにはインタラクティブなものが存在するわけだ。
「間」は一見「無」だけれど実は何も無いわけではない。
池谷先生の話では、脳は「無」の意図を推測してそこに独自の解釈を施すそうな。(大脳生理学的には「埋め込み」と呼ばれるらしい)
このときヘンなもん埋め込んじゃうと「間が悪い」ことになったりするのか(笑)
「間」を読むというのは「無」の空間に充填されたメッセージを感じ取ること。(これは「行間」を読むのも同じかと)
確かに勘のいい人は絶妙な間をとるもんなぁ。

ちなみに眼から脳に入る視覚情報は20%程度で、あとは脳が勝手に構築したものをワシらは「見た」つもりになってるそうな。
人の目なんてアテになんない…特に自分のは(爆)


「間」は「魔」である。

先人の言葉。いや、ほんとに。「間」のとりかたひとつでお互いの関係も、舞台の出来も、絵画のバランスも、あらゆるもんが変わってくる。

歌舞伎の方の言葉で、教えられてできる「ま」が「間」で、教えられていないのに出来る「ま」が「魔」というようなのが紹介されていたが(うろ覚え…)、芝居だとそういうのあるよなぁ〜としみじみ。すごい気持ちいい「間」はまさに魔法と言うか悪魔に魅入られたというか何か一種独特な高揚感があるかと。

ふぅ〜がんばろ(笑)


ところで、最後にほんとちょっとだけだったけど萬斎さんが一舞してくれたさ。
「春雨」という唄と舞。
すんごいいい声ーーっ!(≧▽≦)
所作が美しいーーっ!(≧▽≦)
すごいよすごいよ!一瞬で魅せられてしまった!


最近いろんなものにハマり過ぎ…(^-^;;)

posted by 福来 at 11:47 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | イベント
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。